読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

箱庭生活

自分の半径3メートル以内のできごと

場面緘黙症の後遺症は克服しないほうがいい。むしろ強み。才能。

思いのほか長文になりました。

***

世の中には、場面緘黙症という情緒障害が存在する。学生時代を思い出してほしい。できれば、小学校がいいだろう。あなたのクラスにもいなかっただろうか、教室で、友人と一言も喋ることができない子。ただひたすらに大人しく、もしかしたら笑うこともないかったしれない。表情ひとつ変えずに、ただひたすら、そこに存在だけしている。喋ってって言っても喋ってくれない。そんな子はいなかっただろうか。

私はそんな子供だった。物心ついた頃から社会というものに馴染めず、その胸の内は恐怖心でいっぱいだった。家族以外に畏敬の念を抱いていた、とでもいえばいいのだろうか。とにかく他人というものが自分の想像を超えていて、そんな人の目に映る自分というものをひどく意識しすぎていたのだと思う。

自意識過剰ってやつだ。

他人からの評価が怖かったのかもしれない。他人の期待に応えようとしすぎたのかもしれない。そんな3歳やそこらの子供が、そんな難しいことを考えるのかって言われるかもしれないけど、考えちゃったんだよ。私はね。これは場面緘黙症をはじめとする、社会不安障害に似たものに悩まされている多くの人が持つ才能だ。

場面緘黙症の説明は別にここではしなくてもいいと思ってる。自分は場面緘黙症だった、そして今、だんだんと症状が軽くなってきている。だけど、相変わらず人付き合いも人間関係も苦手で、社会的な活動が怖い、そんな後遺症に悩まされている人に向けて書きたい。

私は環境を変えたい一心で、学区外の高校へ行って、大学なんて地元北海道を飛び出して沖縄まで行った。私の読み通り、環境を変えれば変えるほど、性格は外に向けて開けていった。他人と話せない、なんて状況は今ではすっかりなくなった。話しかけられても答えられない、お礼の言葉も謝罪の言葉も告げられない過去からは完全に脱却していった。

大学に入った時、勢い付いていた私は今までとは真逆の性格になりたいと思って頑張っていた。食堂でたまたま席が近くなった人に話しかけたり、講義にはわざと一人で行って、たまたま隣の席に座った人と連絡先を交換したり。最初は楽しかった。ずっとハイでいられたから。立ち止まらず、何も考えず、ただひたすら他人に自分を売り込んでいた。ここまで自分を捨てられるものなのかと今となっては感心する。夜には必ず飲み会を入れて、あれこれ考えて眠れないなんて言う前に、酒でつぶれていた。酒に弱い私は、嫌な頭痛と戦いながら、気付けば眠りに落ちていた。そんな日々が2か月ほど続いた。

ある日、一気に心がぷつんと途切れた。

やっぱり無理をしてたのだ。無理をすると、ある日突然どこかしらにガタがくる。本来の自分がどんどんどんどん薄らいでいくことを、私は恐れた。なんだかんだ、自分の性格が好きだったんだと思う。だから、ずっとその自分でやってきた。

ゆっくりゆっくり、元の自分に戻していった。無理に友人と遊んだりしないで、自分一人の時間を大切にして、だけどたまには人と会って遊んで。そうこうしているうちに、合わない人間とは縁が切れたし、なんとなーく私のことを気に入ってくれた人は一緒に食事に行こうと誘ってくれた。友人知人の数は確実に減った。リア充からは程遠くなった。やっと平穏な日々が戻ってきた、と思った。

私はどちらかというと常に集団から浮いている。それは今の職場でも一緒。どちらかというと、いや、どちらかというよりか完全に馴染めていない。正直、やりずらいなーとか、気まずいなーって思うことはたくさんある。居場所がなかなか見つけられなくて、居心地が悪いことも。

実は、今日も仕事で、コミュニケーションをとって積極的に仕切らなければならない場面で、何もせず突っ立ってただニコニコしているだけ、という大失態を犯した。かなり気まずかったし、逆に相手(お客さん)に気を使わせるという結果に終わった。自分から空気を作る、というのが本当に苦手だと再認識した。

でもね。

私はここで「ああ、やっぱりだめだった」「こんな性格じゃろくに仕事もできない」「結局自分はダメな奴なんだ」なんて凹んで明日の朝が憂鬱になる……なんて終わり方はしないようになった。

ダメな自分だからこそ、共鳴してくれる人は絶対にいる。例えば私なんかは、自信満々に堂々とスピーチしている人よりも、おどおどしながらも真摯にスピーチしている人に好感を持つ。たいていの人はそうじゃないだろうか。自分を高める努力を怠るのはもちろんだめだけれど、それでも人には得手不得手がある。不得意なことを高めようと頑張ったって、自信ばかりがなくなっていくのがオチだ。努力の方向性を間違っちゃいけない。不得意なことは不得意なままでいいと思う。同じくそれが不得意な人にとっては、とてつもない希望となるからだ。

また、自分ではだめだと思っていることでも、他人はそこまで気にしていないなんてことは結構ある。私は周囲の人とあまり馴染めずにいるし、今となっては無理して馴染もうとも思っていないのだけれど、そんなスタンスを「周囲と馴染めないかわいそうな人」と思う人もいれば、「周りに流されない芯のある人」と思う人もいる。そんな中ちょっとしたミスをすると「普段はクールだけど意外と天然でかわいい人」にもなる。人からの評価なんてそんなもんだ。人一倍他人からの評価を気にしてきた私がいうのだから間違いない。

どんなに不安でも、根拠のない自信を持っている人は強いし、他人からもそう見える。

なんか本題からだいぶズレた気がする。もはや場面緘黙症の後遺症に苦しむ人だけに向けたメッセージではなくなってる気がする。まあいいや。これだけの文字数を使って伝えたかったことは、えーと、

とりあえず生きてればいいことあるさ!

かな!(強引なまとめ)